「鈴木俊明氏を偲んで」(野口雄充)

鈴木くん、いや、なんか違う、そう私達は彼のことを「俊ちゃん」と呼んでいました。2001年から3年間、青年部長まで担当し日本人会理事会でも活躍しました。「秋祭りは理事全員で」を合言葉に当時もたまたま現会長の高木さんが会長でしたが、夜遅くまでああだこうだと話し合っていたのを懐かしく思い出します。そういう時のムードメーカーでありアイディアマンが俊ちゃんで、知識や情報量の豊富さは舌を巻くものがありました。帰国直前までは若くしてゴルフ場の支配人(ミサワリゾート時代のタロフォフォゴルフ)として、業務を精力的にこなしている姿が目に浮かびます。本人もゴルフが好きで、ゴルフサークルや個人的にもよく一緒にラウンドしました。腕前の方は、まあまあというところでしたが、兎に角話が楽しくて、ゴルフそのものより「おしゃべりをしてストレス解消」的な時間を一緒に過ごしたものです。また友達も多く彼の周りから笑い声が絶えることはありませんでした。帰国後は待望の子宝に恵まれ、大変な子煩悩だったと聞いております。そんな俊ちゃんが去る四月二九日に五一歳の若さで亡くなりました。きっと無念な思いもあったのでしょうが、「妻に出会えたことと息子が生まれてくれたことに感謝している。」との言葉を残しています。彼の生きてきた証がそこに見えるようです。遠くグアムから俊ちゃんのご冥福をお祈りします。

野口雄充

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