👉第81回グアム解放記念日に思う
本年7月のリバレーションイベントに参加された前グアム日本人会会長の権田氏に寄稿いただきました。
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グアムの7月は、7月21日のグアム解放記念日を中心に戦争慰霊の行事でいっぱいです。日本人会理事代表は昨年に引き続き、各村で行われた戦争慰霊の行事に総領事館と足並みをそろえ、参加しました。
慰霊行事は、開催を担当するHassoの理事が中心となって各村々で執り行います。そしてどの村に行っても、強制連行された、強制労働させられた、また暴力、虐待をされて命を落とした方がおられ、その遺族にとっては当時を思い起こさせるつらい慰霊の日になっています。キャンドルを灯す遺族に、虐殺された人の濃い面影が見られることがとても衝撃でした。「許すけれど、忘れない」という先祖からの確かな継承をひしひしと感じます。こうしてあの日から81年が経っても家族、親戚と呼べる血のつながりがある限り、「忘れない」は継承されてきました。また、この先も継承されてゆくでしょう。
それでも、人には生活があるので、生きてゆく為には忘れたようにふるまって暮らさなくてはならないこともあり、その思いだけににとどまって生きてゆくことはできません。悲しみを置き去りにしてでも日々、暮らしてゆかなければなりません。そうして81年が過ぎてなお、戦争サバイバーの方が式典に参加されています。生きてこられたということの歴史が、そこにあるのです。
70年代からは、グアムに観光業をもたらした日本企業が生活を豊かにしてくれたと言ってくださる方もおられます。より良い生活を享受できる環境をもたらしてくれたことに感謝はするけれど、この7月21日は忘れない。忘れないけれど、心に秘めてはいるけれど、立ち止まらないで、この先を生き続けてゆくために、同じ時を同じように生きてゆくために共に協調して暮らさなくてはいけない、ということの大切さを理解し合っています。そこにグアムの懐の深さがあるように思います。
日本人会は年に1回の慰霊公苑の清掃をピースリングより引継ぎ、年間行事にしています。この地で命を落とされた日本人の遺骨が2万体近くもまだ土に埋もれています。その方々のお陰で、今を生きる我々は観光業を営み、地域に根差した流通業、飲食業などに従事して人生の生業の空間をグアムにおいています。
戦争というツイタテのようなもののこちら側と向こう側で物事を考える時もあるけれど、そのツイタテの高さがだんだん低くなって、お互いがツイタテ越しに気持ちをのぞき込めるようになったと感じられるようになってきました。
そのような気持ちを持ち続けるためにも、できればグアムに関わる日本人の方は、先の大戦の象徴的な日である日本の8月6日、9日、15日を思うとともに、7月21日のグアムの解放記念日も忘れずに、そしてできればそこに参加する島民の皆さんの祈りに寄り添える機会をもっていただきたいと思います。
日本人会の理事になり、7月21日を特別な日として1年の生活に取り込めるようになったことは良かったと思います。
権田 正



