ご帰国される先生方のご挨拶 グアム日本人学校 全日制

井手 瑞樹 校長先生

 グアム日本人学校(全日制)の校長として、3年間お世話になりました。

私は、定年退職後、住民123名という小さな小さな離島に1年間勤務していました。学校の生徒数はわずか5名。それも3名が兄弟という島でした。まさか、続いてグアムという島に赴任させていただくことになるとは夢にも思っていませんでした。それが、少し大きな島の少し大(おお)人数のグアム日本人学校への勤務とは、何という運命のいたずらだったのでしょう。期待に胸が膨らみました。 さて、現実は・・・。

 1年目は、コロナにやられました。学校経営=コロナ対応 といった感覚でした。みんなコロナに命の危機を感じていましたから、保護者の皆様も真剣そのもの。決してミスは許されないと私も必死でした。お陰で、日本とアメリカの対応策の違いや、現地校と本校の保護者の皆さんの考え方の違いや、職場内での人々の考え方の違いなど、本音のぶつかり合いで分かったことが数多くあったように思います。

 2年目は、コロナも落ち着きを見せ、平常時に近い規模で、学校行事を開催できました。それまで我慢していたものが一気にはじけたような子どもたちの躍動、保護者の皆さんのこぼれるような笑顔が大変印象的でした。こんなにも明るく豊かな感性のあふれる学校だったのかと嬉しさでいっぱいになりました。お互いに信頼を寄せて、みんなで作り上げた一年であったように思います

 3年目は、何といっても台風マーワーの到来でした。グアムの台風を甘く見ていました。ものすごい雨風に「しまった!」と思いましたが、すでに遅かった。台風が過ぎ去った後は、「ここはグアムなのかな?!」と我が目を疑いました。まるで今までとは違った景色がそこには広がっていたからです。しかし、グアムの皆さんのたくましさには驚きました。大変な被害があったはずですが、笑顔で会話される姿に、私たちこそ元気をもらいました。

 こうしてあっという間に過ぎ去った3年間ですが、グアムの皆さんの温かさや、気さくに声をかけていただくその人柄に心を癒やされながら、派遣教員としての使命を果たそうと頑張って参りました。何よりも、グアム日本人学校のためにご尽力いただいた日本人会の皆様方、お子様の成長を心より喜んでくださった保護者の皆様方に心よりお礼を申し上げます。

皆様の今後のご多幸とますますのご発展を祈念いたしまして、お別れとお礼のことばとさせていただきます。

宇野 磨美子 先生

 人は幸せになるために生きていると思います。何をもって幸せと言うかは人それぞれの感じ方によって違うとは思いますが、、、

 私にとって、このグアムでの日々は幸せな時間でした。日本で教職38年、定年退職した私にとって、グアムでまた働くということは大冒険でした。1年目、何もかもが新鮮で刺激的な日々でしたが、疲れてしまい早く落ち着いてこれが日常になりたいと思ったものです。やっと音楽専科として少し慣れてきたら、なんと2年目の今年は27年ぶりの担任となり、またまた刺激的な日々の始まりでした。

 でもクラスの子供からエネルギーをもらい共に過ごすことは、専科とは違って本当に楽しいことでした。年寄りの担任で、子供達はつまらなかったとは思いますが、、、ごめんなさい。子供には申し訳ないとは思いつつ、今まで自分が蓄積してきた中で、三年生に出来ること、面白いことをできる限り一緒に取り組んで、楽しもうと思って今に至りました。

 子供は本当に無限で、教えたらどこまでもいけます。ただ気をつけなくてはと思うのが、どこまでも行けるからと言って、どこまでも突き進んでしまうのは危ないなぁとも思っています。その年の感性に合うものでなくては子供にとって意味がないですから。

 ただ改めて確信したのは、私は子供と一緒に歌を歌うのが、大好きなんだと実感しました。歌を歌うとなんとも言えぬ一体感を感じることができます。目で見えるようには伝えられないことですが、ステキな時間を共有した満足感が、そこの空間に満ち溢れるているのを感じます。本当に至福の時間をいただきました。

 また、粗忽者の私を心配して帯同してくれた夫は、こちらのハイキングツアーに参加してグアムの自然を堪能し、クライミングジムに通い、言葉を超えた交友を楽しんでおりました。

 最後になりますが、グアムの生活の中で夫共々、関わってくださった、出会えた方全てにお礼を申し上げます。ありがとうございました。 日本から皆様の健康とご多幸を、心よりお祈り申し上げます。

岡村 尚弥 先生

 私は、2021年4月にグアムに赴任してきました。当時はコロナ禍で、二週間の隔離があり、そのうちの最初の一週間はホテル隔離でした。日本での教員生活では、年間を通して数日しか休みがなく、家族と過ごす時間もほとんどなかったので、青い海を見ながら家族と過ごすホテル隔離生活は天国のように思えました。

 二週間の隔離が終えた後、すぐに学校生活が始まりました。まだ距離をとっての生活を強いられており、とても窮屈な生活でした。そんな状態での初めての異国での生活で不安だらけでしたが、その不安はすぐになくなっていきました。それは、心の距離の近さを感じたからです。毎朝駐車場に立っていると、たくさんの保護者の方が声を掛けてくれました。「困ったことがあればお手伝いするので何でも言ってくださいね」と言ってもらったことが、どれだけ心強かったかわかりません。学校とは何も関係のない、前日のメジャーリーグの野球の試合のことで、会話が盛り上がる事もありました。単に教員と保護者としての関係だけでなく、人と人としての関わりができたことが、とても嬉しかったです。物理的な距離をとっての生活の中で感じた心の距離の近さが、私の不安を取り除いてくれました。

 そしてこの心の距離の近さこそが、グアム日本人学校の最大の良さだと思います。子どもが幸せな生活を送れるように育ってほしいという願いは、保護者と教員の共通の願いです。その願いを共有しながら学校と家庭で連携をして育てていける環境があるからこそ、グアム日本人学校の子どもたちは、健やかに成長できているのだと思います。

 グアムに来て、人と人とのつながりの大切さを改めて感じました。気候だけでなく、人々の心もあたたかいこのグアムで生活できた3年間は、私の宝物です。日本に戻ると時間に追われる日々が戻ってくると思いますが、グアムで学んだことを忘れずに過ごしていきます。本当にありがとうございました。

延澤 遥子 先生

 

日本人会の皆様、3年間大変お世話になりました。

 新しい世界に飛び出したくて在外派遣に応募、自分の中では東南アジアに派遣されるイメージしか持っていなかったのですが、言われた場所はまさかの「グアム日本人学校」。「リゾート地かーい!!」と一人、パソコンの画面に向かってツッコんだのが始まりでした。ただ、世の中はまだ「3密」叫ばれるコロナ禍の真っ只中。無事にグアム便が飛んでくれたことはひと安心でしたが、グアムに着いた途端、黄色いスクールバスに乗せられてホテルへ連行、7日間の隔離生活のスタートでした。ミリタリーが三度の食事の配給とPCR検査に来る以外は部屋の扉すら開けられない徹底ぶりと統率のとれた体制に、「アメリカに来たんだな~」と変な実感を持ったのを覚えています。

 私の赴任した3年間で世の中の状況も学校を取り巻く状況も本当に目まぐるしく変化しました。良い変化もあり、良いとは言えない変化も正直ありました。また、コロナ禍を経て人の出入りも激しくなり、たくさんの出会いと別れを経験しました。大きな渦の中にいてその渦に飲み込まれないようにするためには、やはり「ぶれない信念を持つ」ということが大切なんだと、あらためて気づかされた3年間でもありました。

 私達は、文部科学省より在外教育施設に派遣されました。日本人としての心、礼儀、日本語の美しさ(私は関西弁しかしゃべれませんでしたが・・・)、日本の伝統や文化を「日本式の教育」で伝える、私なりの解釈ではありますが、この使命を胸に秘めてプライドを持って取り組んできたつもりです。日本人学校に対して求めるものは、保護者の方や学校理事会の方の中でもさまざまなのは理解しています。ただ、周囲の状況が大きく変わろうとしている今、日本人学校全日制がここグアムにできた意義、原点に、今こそ、今一度立ち返るべき時なのではないかと思います。「変わらないもの」を変えない勇気を今こそ持つべき時なのではないかと思います。

 今後のグアム日本人学校の行く末を、日本より見守っています。 ありがとうございました!!!

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!