「補習授業校卒業生 に聞きました 益田えりかさん」 VOL4
補習授業校卒業生に聞きました!!
補習授業校の卒業生で現在グアムで医師として活躍されています益田えりかさんにインタビューをいたしました!
補習授業校の卒業生とお聞きしていますが。補習授業校の思い出などお聞かせ下さい。
小学1年生から中学3年生の9年間通って1994年に卒業をしました。補習校の思い出ですか、、、算数、数学はいつも満点をとっていたのに漢字テストは赤点ばかりでボダリオ先生によく叱られていました。現地校の宿題も多くてつらい時もありましたが、今考えると仕事や家事などで毎日忙しい母が時間をつくって送り迎えをしてくれた事に感謝しますね。
補習授業校で日本語を勉強してよかったと感じた事があればお聞かせ下さい。
バイリンガルだと3つ目の語学に入りやすいと思いました。私の場合アメリカの大学の時、メキシカンの人たちが結構いたのでスペイン語をかなり覚えました。
現在、アメリカンメディカルセンターで内分泌学(糖尿病、甲状腺、副腎、下垂体)のスペシャリストとして働かれているそうですが、お医者さんになろうと考えたのはいつ頃ですか?
6歳ぐらいだったと思います。2歳年下の仲のよかった従妹が病気で入院して苦しんでいる姿をみた時、自分は何も助けてあげられないのが悔しくて自分もお医者さんになって病気で苦しんでいる人達を助けてあげたいと思ったのがきっかけです。それが人生の目標となり、一所懸命勉強に励めたのだと思います。学校の成績は常にトップでした。ハイスクールも2番の成績で卒業しました。
目標のお医者さんになるまでの道のりは?
1997年にハイスクール(ACADEMY OF OUR LADY)を卒業後、ユニバーシティー・オブピッツバーグで微生物学と日本語を専攻しました。日本では高校を卒業するとすぐに大学の医学部に入りますが、アメリカでは通常の大学を卒業してから更に4年間医学部のある大学に進学しなければなりません。私はユニバーシティ・オブ・ピッツバーグを卒業してからニューヨーク・メディカルカレッジ医学部に進み、その4年後ユニバーシティー・オブ・コネティカットでインターンとして1年、レジデンシ―として2年間専門分野内科を勉強しました。その後、(まだまだドクターへの勉学は続くのです。)べイラーカレッジオブ・メディシンとMD ANDERSON CANCER CENTER で更に専門分野にすすみ、14年間のアメリカでのドクターに成るべく勉強を終了しました。
苦しかった時とかありました?
はい。始めの4年間の大学生活は勉強も簡単でとても楽でショッピングや遊んでばかりいましたが、医学部に入ってからはとにかく勉強が大変でやめたいなと思った時もありました。そんな苦しい時は必ず母に電話をしていました。明日のテストに自信がなくて母に電話をすると母は『今夜はもう勉強しなくていいから明日のテストだけは受けて、とりあえず今学期だけは終わらせて、その後どうするか考えようね』と言われ続けていつのまにか卒業していました。(笑)母の言葉に大変助けられました。
14年間アメリカで医学を勉強され目標のドクターになられた訳ですがグアムに戻ってこられた理由をお聞かせ下さい。
私の愛する家族がいるからです。2008年に(インターンとして勉強中の時)アメリカ人の主人と結婚をしましたが結婚する時に学校を卒業したらグアムに戻ると主人と約束をしていました。そして無事卒業して2011年に主人とグアムに帰ってきました。現在は、私はアメリカンメディカルセンターで医師として、主人はパイロットの仕事をしています。そして4歳の男の子と1歳の女の子の母親でもあります。多忙な毎日ですが、すぐそばにファミリーがいてくれるのでとっても幸せです。
グアムとファミリーをこよなく愛されているえりかさん、これからもグアムの医療を担う医師として、2児の母親として益々ご活躍されます事を心より期待しています!!
インタビュー:Y.O