卒業生からのコメント 笹山翔さん、エヴァンス マーロンさん、青木 悠さん、アルバ ジョシュさん 

☆日本人学校卒業生から 

 日本人学校の事を思うと、感謝の気持ちと楽しい思い出ばかりです。 

最初に日本人学校へ入学したのは小学校1年生の2学期でした。 それまではローカルの学校へ通学していた僕は当然のようにそのまま小学校へ入学すると思ってました。 (何で日本人学校に天候なんだろう)と何度も思いました。 母に何度も聞きました。 生まれてから英語で育った僕にはとても理解出来ませんでした。 1年生の時は、友達と会話ができないでいる僕に、校長先生が声を掛けてくださり、校長室で日本の遊び、しりとり、竹とんぼなどをしながら日本語に慣れていきました。 担任の先生はもちろん、他の学年の先生方も一生懸命日本語を教えてくださいました。 言葉の壁が薄れてくると友達ともコミュニケーションがとれるようになり、学校生活がとても楽しくなってきました。 ベイゴマ遊びに夢中になったのを覚えています。 この学校には居場所がないと思っていた僕が、気が付かないうちにずーっと通いたくなるような学校になっていました。  

 日本人学校で学んだことは沢山あります。一生懸命汗を流した運動会。皆で協力して感動する劇を作っていく学習発表会。楽しかった遠足や修学旅行。その他にもまだまだ沢山いろいろな事を学ぶ機会があり、いたずらをしておこられたことも思い出です。 兄弟のいない僕に沢山の兄姉弟妹出来たのは僕の宝です。 友達や先生方と一緒に作った思い出はずっと僕の心の中に残っています。 日本人学校を卒業したからこそ今の僕でいられます。 日本語が理解でき、文化にふれる機会を作ってもらったことは本当に感謝です。 日本人としての誇りもあります。  学んだ事や経験した事をこれからも忘れず大切にしていきたいです。 日本人学校の後輩達はとても幸せだと思います。 

                                   笹山翔 

 僕は幼稚部年長から小学部を卒業するまで日本人学校に通っていました。幼少期7年間を過ごしました。日本人学校を振り返ってみると、たくさんの思い出がありますので、ここで3つあげたいと思います。 

 まず最初に頭に浮かぶのは日本人学校で出会った先生方や職員のみなさんです。たくさんの先生方にお世話になりましたが、その中で一番僕に大きな影響を与えたのは小学部2~3年生の担任だった米山先生です。教室内でのことだけでなく毎日人生のことを僕たちに教えてくれました。またソ族していたサッカーチームのコーチでもあったので、僕が今サッカーを続けているのは米山先生のおかげだと思います。 

 次に、今でも続いている友情です。みんなと一緒に過ごしたのはもう6年も前だけれど、たまに見かけると、何も変わっていないように喋りあいます。21歳になった時に日本人学校の奥に埋めたタイムカプセルを開けるのがとても楽しみです。今年高校を卒業しそれぞれいろんな道に進み、次に会う時までには数年会っていない人もいるだろけどきっと時間の差を感じず思い出話ひ花を咲かせる事だと思います。 

 最後に僕が日本人学校で大好きだったことは、運動会、学習発表会など学校全体で参加した行事です。今振り返ってらすごく小さいものですが、小さかった頃は前日は興奮して眠れませんでした。様々な行事をいつも楽しみにし、当日は力一杯努力しました。 

日本人学校での7年間はとても深く、濃く僕に影響を与えました。日本人学校に通って本当に良かったです。 

                          エヴァンス マーロン 

☆補習授業校卒業生から 

 私は、現在早稲田大学国際教養学部1年。グアム生まれ、グアム育ちの19歳。 

補習校に通い始めたのは小学一年生の頃である。土曜日の午前8時から4時間国語の授業を続けて受けることは非常に辛かった。週に五日通う現地校では英語を使用し友人とも英語で話すのが当たり前であった。毎週漢字の試験があり、合格するため、必死に勉強した。 

当時は嫌だったが、これらの事は将来大いに役立つであろう。そう思い、我慢しながら中学卒業まで補習校に通った。 

 私が今通う国際教養学部は世界中から日本へ帰国した所謂「帰国子女・帰国生」が学生の大部分を占めている。その中には、海外滞在中日本人学校や補習校に通った事のない生徒も多くいる。彼らは日本語を話したり聞き取ることができても、日本人でありながら 読み書きすることができないのである。小説や論文など、日本語で書いてあるものを読む能力を欠けているのが実態だ。その結果、彼らは小学生レベルの日本語を大学で勉強しなければならいのだ。入学時に受ける日本語能力試験での成績が低ければ日本語の授業が必修科目になる。成績が低ければ低いほど必修の期間が長引くのである。中学生程度の日本語を理解していれば誰でも合格する試験なのだ。 

当然、私は合格し、日本語の授業を受けなくて済んだ。その代わり私が好きな授業を受けることができたのである。様々な資格を中学・高校卒業までに取得すれば大学生活が楽になる。私は高校時代第二外国語(中国語)に力を入れたため、大学では日本語・英語・そして第二外国語も免除された。その結果、必修科目が激減し、一般の学生と比べて3倍ほど多く選択科目を選ぶことができたのだ。 

これは全て小学・中学時代、補習校で日本語を学ぶことができたからである。当然、公用語が英語であるグアムにいる限り日本語に接する機会は日本と比べて遥かに少ないのが現実だろう。しかしながら頑張っている人は不満などは言わない。そして勉強して損をすることはないはずだ。補習校で学んでいる皆さんは、この素晴らしい学校で日本語を勉強する機会を 活かせばきっと将来社会への貢献に向けて役立つだろう。            

                                    青木 悠 

 私は2009年3月に補習校を卒業し、その後グアムの高校を卒業して大学進学の為日本に住み始めました。今は東京都にある理系大学で学部2年目を過ごしています。  

    私が日本の大学に行きたいと思ったのは単純に、日本で生活したかったからです。また、今までとは全く違う環境、しかも家族とは離れた場所、に自分の身を投じることで成長できるのではないかと思いました。  

    大学生活を送ることができるようになる前に、誰もが大学入試を経験しなければなりません。私は帰国子女枠ではなく一般入試で入学しました。志望の大学学部に帰国子女枠が無かったからです。同じ帰国子女枠でも文系と理系の入試はだいぶ違うと思いますが、しっかりと帰国前からある程度の下調べや準備をお勧めします。  

    帰国子女がほとんどいない大学でうまく友達を作れるか不安でしたが、その心配はすぐに打ち消されました。グアム出身と言ったらみんなすごいと言ってくれ、そこから会話が弾むからです。グアムで生まれ育ったにも関わらず日本語が不自由なく使えるのは補習校に通っていたからだと思います。当時は嫌々通っていましたが、今は日本語を勉強していてよかったと思います。もちろんグアム出身であることも、誇りに思っています。  

    2年生になってすぐ、ゼミの教授に「研究室の院生の論文の作成を手伝って欲しい」と頼まれました。今や科学の世界でも英語が一般的であり必要不可欠となっていて英語圏に住んだ経験があり、英語力を身につけた私達は必要とされているのです。アルバイトでも英語をフル活用して、英会話スクールで講師をしています。  

    まだ大学の事など考えていない方にも、私の経験談が少しでも参考になれば嬉しいです。日本語と英語の両方を使えることは世界も広がり、また、多くの人の役にたてるので、日本語勉強中の方はぜひ諦めずに勉強に励んで下さい。                                                               

                           アルバ ジョシュ 

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