日本人会秋祭りの準備功労者 久住君 を偲んで日本人会秋祭りの準備功労者 久住君 を偲んで

 元藤田ホテルの笠島さんからの知らせがフイッシュアイの原田さんに有り、プラザの遠山さん経由で、グアム時代からハワイでも一緒だった久住恒之君の訃報を知ることになりました。すぐにハワイの友人たちにも知らせると惜しむ声が多数戻ってきました。グアムでもハワイでも一緒にゴルフをし、呑み、44歳の時にシャレでシシの会を作りイノシシ年の仲間を集め、還暦ゴルフも大勢の同い年仲間でプレイをしました。片方の視力を失ってからもゴルフを見事再開し、カムバック賞を仲間から送られた久住君でした。 

 思えば1977年に、前年の台風パメラの復旧工事の施工担当者としてグアムに赴して以来、グアムリックツアーの支店長だった久住君とは同い年で、互いに同級生付き合いをしてきました。 

 あれから40年近くたって思い出すのは、第1回と第2回の日本人会の秋祭りです。確か高木会長が青年部長で井上会長の時だったと思いますが、だれが言い出したのか子供にお祭りを見せようと言う話が現実になり、オオクラホテル(現ロッテホテル)の駐車場を使わせてもらえる事になり、久住君は出張を作って、日本から、ウナギ、金魚、ヨーヨー、おもちゃや、お面など思いつくものを集めてきて、土建屋の私達は現場の足場パイプをばらして、盆踊り用の櫓を組み立て、金魚すくいなどの屋台の様なものを15、6軒作りました。 

 宴たけなわの頃に、要領オーバーになって電気が消え、急には直らず、数台の車を櫓に向けて動かし、ヘッドライトの明かりで祭りが続きました今回の訃報を知らせて下さった遠山さんが櫓の上で停電になっても太鼓を叩いていた事を覚えています。こんな第1回と第2回の秋祭りが盛大になり、今年で第36回を迎えます。今年は参加して、私も炭坑節を踊りたいと思います。永く一緒にいた久住恒之君も、きっと雲の上で踊る準備をしていると思います。彼は元日東興業横浜ボールのボーラーでした。ゴルフも大好きで、フルーツワールドの濱本さんと3人で全ホールドラコンを競った事もありました。賑やかな事が好きだった横浜出身の湘南ボーイでどこまでもダンディな友人でした。 

3回目のグアム赴任中の宇佐見博でした。 

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