『平和を考える』

7月14日に開催される「第20回慰霊公苑・慰霊碑 清掃ボランティア活動・慰霊訪問」を間近に控え、NPO法人ピース・リング・オブ・グアムの会長である髙木秀暢氏よりご一筆いただきました。
ボランティア活動へ参加ご希望の方はこちらの詳細をご覧ください。


『平和を考える』

最近の世界情勢を見ると、平和どころか第3次世界戦争が始まっているように感じます。ロシアのウクライナ軍事侵攻、イスラエルとハマスの戦い、北朝鮮の暴挙、中国の台湾、南シナ海、尖閣島の領有権問題、アメリカが中国を念頭にグアムにミサイル基地、軍を配置。何処を見ても平和とは程遠い現状です。私にとり、せめてもの平和は大谷翔平の活躍です。日本は日本国憲法9条の改憲問題を日本の平和のためする必要があるようです。平和とは何か?如何すれば良いのか?日本国民、皆で考えなばならない問題ではないでしょうか?

私は先日”靖国”という雑誌を見ました。その中にフィリピンの特攻隊で亡くなられた兵隊さんが両親に宛てた最後の手紙が紹介されていました。長いので抜粋します。

父上、母上様
喜一の今日の知らせを御喜び下さい。大命により特別攻撃隊に参加できることとなりました。喜一の心には何の未練もありません。男子の本懐です。よわい20歳にしてフィリピン沖に散る。米艦船目がけて800キログラムの爆弾を抱き突込む様を御想像下さい。勇ましいではありませんか。父上、母上様も今後共、御体を大切にお暮し下さることを靖国のやしろよりお祈り申します。
昭和19年12月16日  藤沼喜一

これを読んで私は涙が止まりませんでした。喜一さんは国のため、平和を築くため心安らかに喜んで死を選びました。歴史感が変わり日本ではこんな考えが出てきています、この戦争は日本の戦略戦争で間違いであり、戦争で亡くなられた人は犬死である。色々な考え方があり、正面から違うと声をあげることはできませんが、寂しいです。日本を守るため、日本で生きている人達、次を背負う人達を守るため、犠牲になってくれた兵隊さんに犬死でなく有難うと感謝したいと思います。
戦争未亡人が読んだ有名な歌にこんなものがあります。

“かくばかり 醜き国になりたれば 捧げたる人のただに惜しまる”

さて、話をグアムの戦争に戻します。日本がアメリカに降伏した終戦記念日は1945年8月14日、今年で79年になります。日本軍が最初にグアムに上陸したのは1941年12月8日のハワイのパールハーバー攻撃から5時間後でした。四国の丸亀隊6,000名が上陸、無血上陸でした。2,000名をグアムに残しラバウル、ニューギニヤに進撃。その後はご存じの通り、快進撃が続きました。大きな変化が訪れたのは、1942年6月、ミッドウエー海戦で大敗し決定的なダメージを受けた日本軍は、この日から防戦一方となります。

日本本国を守るためにサイパン、グアムを死守せよとの命令に従い1944年2月高品中将率いる満州軍21,000人が真冬の満州から釜山、広島の宇品へ移動しました。日本に立ち寄ったにも関わらず、秘密厳守のため日本での下船は許されませんでした。冬服を夏服に替えられ、どこに行くかも伝えられずに着いた所がグアムでした。残念ですが、ここが5か月後の兵隊さんの死の旅でした。

1944年7月21日午前7時に55,000人のアメリカ軍がグアムのアガット湾に上陸しました(この日がグアムの独立記念日です)。その後の約3週間で、2年7か月に及んだ日本のグアム占領が終わりました。なぜ、日本はサイパン、グアムを死守しようとしたのか?その理由は、アメリカ軍が開発した新型爆撃機B-29にありました。B-29は6,500キロの飛行距離があり、グアムと日本の距離2.500キロを爆弾を積んで日本に落としグアムに帰れる距離なので、サイパン、グアムを取られることは日本の生死に関わるこででした。この戦争で日本兵約1,300人を残し日本軍戦死者 19,000人、アメリカ軍2,000人、グアム民間人1,000人が犠牲となっています。残念ながらサイパンの玉砕を知っていたグアムの日本軍は、アメリカ軍への情報漏れを恐れ罪のない現地人約126名を4か所で殺害しています(170名との説もあります)。

話をグアムで亡くなられた兵隊さんの遺骨収集がいかに少ないかに移します。
グアムでの日本軍人遺骨収集には色々な団体の方が見えますが、日本政府が絡む、JARRCWC(日本戦没者遺骨収集推進協会)からの報告では2023年時点では、グアムでの戦没者19,000人の内、なんと政府派遣収容遺骨数は516柱のみとなっています。但し1947年5月に1,200柱を収集し名古屋の北山墓地に埋葬し、その後2004年に千鳥ヶ淵に合祀されたとの情報もあります。。

サイパン島は戦没者概数55,300人に対して遺骨収集は29,228柱、テニアン島は戦没者15,500人に対して10,508柱です。いかにグアムの遺骨収集が少ないかが分かります。多くの遺骨はアメリカ政府管理の場所(アサン)、民間人が住んでいる住宅地(アガット)、アプラ、ジーゴの軍基地に眠られているのではないかと想像されます。以下参考のため戦争犠牲者の資料を述べます。

太平洋戦争の日本軍死者数(推計)
ガダルカナル 21,900 人,  アッツ島 2,600人、
ニューギニア 176,000人、グアム島19,000人、
サイパン 55,000人、ビルマ・インド 167,000人、
フィリピン 518,000人、 硫黄島 21,900人、
沖縄 186,500人、本土空襲 500,000 人

日中戦争を含む大戦死者総数 3,100,000人(推計)

毎年、年2回日本から遺骨収集団がグアムに来られますが、今年は日本人会主催の慰霊塔清掃と慰霊日7月14日に合わせて、7月6日から15日まで来島されます。

最後になりますが、私が所属するNPO法人のピース・リング・オブ・グアムを紹介させて頂きます。
我々は日本人会主催の慰霊祭のサポート、グアム島の戦争犠牲者の慰霊祭に参加、日本からこられる遺骨収集のサポート、日本企業のグアム研修会の講演、日本の中学生・高校生にグアムでの戦争の歴史を伝えるための講演、グアム大学に保管されている戦前、戦後の日本の歴史レポートの資料の整理などをする、等の目的でNPO法人ピース・リング・オブ・グアムを2005年にグアム政府に登録し現在7名の理事でボランテイアー活動を行っています。日本には姉妹関係のピース・リング・オブ・グアム・ジャパンの組織があります。

日本人会会員の皆様、グアム在留の邦人の皆様、ぜひグアムの日本軍の戦争の歴史をもっと詳しく知るためにもぜひピース・リング・グアムに参加されませんか?心より皆様の参加を待ち致しております。

NPO法人 ピース・リング・オブ・グアム
会長 髙木秀暢 

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