Guamingoのヨーロッパ体験記
第一章 「ウクライナ支援でボランティア活動」
豊かで戦争の危機感のない国に生まれた私たちも、世界で勃発する戦争は画面を通して幾度か目にしてきました。コロウイルスの蔓延から、やっと明るいニュースがちらほら発信されるようになった時期に勃発したロシアのウクライナ侵攻は衝撃的でした。
ある日、私は友人と長距離で高低差の激しい「ササラグアン山」に登っていました。
チャモロ語で“地獄”と名付けられたその名称にふさわしく、日影のない過酷な道のりを進みます。その時話題がふと、ウクライナ侵攻に。もし私たちの近代的な日々の生活に、爆弾が落ちてくるような事態が起こったら?連日ニュースで目にする光景が頭をよぎっていた時、友人が一言。「私たち山登りで体力を培ってきたし、マンパワーになれないだろうか?」
グアムの自然には心身ともに癒しのパワーをもらい、いつも活力に満ちている私は思いました。
「このパワーをウクライナまで補給しに行こう。」
私たちの決意は、終息が見えない中長期的な影響が懸念され始めている時でした。「何か力になりたい。」その一心で情報を集め始めます。安全面を第一に、隣国ポーランドのワルシャワ駅でボランティア活動に参加することにしたのが初めの一歩でした。
22時間の旅を経た翌日。
災害時に温かい食事を提供するNPO団体「ワールドセントラルキッチン」が設立した仮設テントにサインアップ。入り口ではポーランドとカナダの軍人さんがニコニコ顔でテントに来る人のIDチェックをしています。
ウクライナから避難されてきた多くは子供連れの女性と高齢者たち。
(政府の取り決めで18~60歳の男性は出国できません。)
その様相は私たちと変わらず、かっこいい旅行バックにスマホにネイル。わかっていた事だけれど、何だか現実を突きつけられたようで、しばらく緊迫感が抜けなかった私。
食事や衣類を求めて集う多くの方と接し、これまでの人生で感じたことのない思いが心いっぱいに溢れ続けます。「ボランティアに来てくれてありがとう。」 いただくこの言葉がさらに心を突き刺しました。
心の声「そんなこと言わないでよ(涙)」
日が経つにつれ、避難民もボランティアの一員になって活躍していることに気づきました。彼女たちは情報交換の柱になり避難してきたばかりで困惑する人のサポートに一躍買っているよう。
街では途方にくれた人が座り込み、ティーンエージャー達は国で戦う父の為に募金活動をしています。ワルシャワには数か所に避難民用の仮設テント、一時待機施設がありました。
極限でも生きなければならない状況を緩和するには個人の力では限りがある。
支援方法や数量は問わず何でもできることを皆がやったらいいのだ、強くそう感じました。
それからの私は「来てくれてありがとう」と言われると「もちの、ろんよ!!」と自然にハグまで交わすようになっていました。
つづく