「日本人学校補習授業校OBに聞きました!アルフェロス エミさん」(編集委員 R・U) 

補習校第一期生 (アルフェロス エミ) 

一期生と言うことですが、当時の事をお聞かせ頂けますか。 

40年も前の事ですから記憶が曖昧ですが、当初今のタモンサンズプラザの裏にあった東京マートの一角で、机2.3個並べ生徒の父兄などが週末に教えてくれていました。それこそ全員でも5,6人、10人いなかったと思います。私は一年生から通っていましたが、3年生の時に日本から佐藤校長先生が赴任され、場所もセントジョンズに変わり日本の教科書で勉強するようになりました。そこからが、日本人学校の始まりになるのでしょうか。その頃から生徒が増えて、今まで全学年一クラスだったのが、低・中・高学年で分かれて授業するようになったと思います。 

印象に残ってる想い出などはありますか? 

うーん。少ない人数でしたが、運動会がありましたよ。駆けっこした記憶があります。今もお付き合いのある友人がいますが現地校ではなく日本人学校時代の方ですね。 

4年生の時に日本に帰国され、現在はグアムですが、経過をお聞きしてもいいですか?また今の自分にとって日本人学校はどんな存在ですか? 

日本に帰国した当初は、日本の学校に馴染めませんでしたね。日本人学校で日本語を学ばず帰国していたらどうなっていたか想像つきません。その後は高校まで日本。そして大学は幼少期のグアムの記憶が強かったのか海外に出ようと考え、ボストンに留学生で行きました。その後父のいるグアムに戻り、仕事も始め結婚もして現在に至っています。日本でアルバイトしていても帰国生の中で英語会話でしたし、現在も職場でも家族の中でも、日本語を使うことはありませんが、日本人であることは忘れたくないですし、私の中には日本の心しっかりあると思いますよ! 

日常日本語使うことが無いとは思えない綺麗な発音の日本語で、「日本人でいる事は心地よいとおっしゃっていたのが印象的でした。 

インタビュアー 編集委員 R・U

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